最新 追記

ジタバタ日記


2011年01月08日 Hello

_ 手始めに、日常風景

月曜から金曜まで、白杖(はくじょう)をついて出勤。最寄り駅まで徒歩15分くらい。

早足だとぶつかった時に痛い思いをするので、ゆっくり歩く。晴眼者の人なら10分くらいかな?

駅は非常に混雑。通行人の足の間に白杖が巻き込まれて曲がったり折れたりすることがたまにある。駅周辺で自転車に巻き込まれて折れることも。折れると困るんだよなあ。

電車に乗ること20分。朝はラッシュだけど、むかし使ってた京王線ほどぎゅうぎゅう詰めでない。始発なのでたまに座れることも。

勤務先のビルは駅から地下道でいける。15階で仕事(パソコンで事務)。

健康のため、15階から21〜23階まで上って下りるのを1日に2、3回くらいやってる。

最近は階段を使う人が多い。昔は、すれちがう人がほとんどいなかったんだが。

家ではラジオをよく聴く。朝は、TBSもりもとたけろう「スタンバイ」をベースに、ニッポン放送「あさラジ」、文化放送たけだてつや「三枚おろし」も聴いたりする。夜はテレビBS11の22時から「インサイダー・アウト」を時々聴いてる。

ボランティアの人が録音してくれた音訳図書を聴いたり、点字の本を読むのも好み。ジャンルは雑多。音訳|点字図書ともインターネットでダウンロードし、専用端末で読む(聴く)。

このところ宇宙論とか数学の本がおもしろい。リサ・ランドールの「ワープする宇宙」、ブライアン・グリーンの超ひも理論の本、アレックス・ビレンケンの「他世界宇宙の探検」、瀬山士郎の「読む数学 通読できる数学用語事典」なんかが特におもしろかった。

パソコンでのプログラミング(最近は専らruby)は、おもしろさはあるが、主に実用的ニーズからやってる。時々は苦痛。

マイクロソフト社のソフトは、なるべくなら使わずに済ませたい。でも、使わざるを得ない状況。それなら(画面が見えなくても)なるべく楽にやりたい、というのがプログラミングの動機。

そんなこんなで、じたばた・うろうろやってます。計画や方針のとおりにいかないのが、かえって良いのかも。


2011年01月10日 茶店

_ 外出して茶店

喫茶店は好きだが、そんなにはいかない。視覚障害者が気軽にいって心地よいところって、そんなにあるわけではない。

なぜか点字図書館等の視覚障害関係施設が集中している東京高田馬場の喫茶店は、視覚障害者の利用が多いためか、座席までの案内等サービスが行き届いていて入りやすいところが多い。

それ以外でも、やはり親切な店員さんがいると足が向きやすい。

池袋駅・南口の明治通り沿い(西武デパートを右手に見ながら目白方向に歩いて、横断歩道を渡ってすぐ)のスターバックスは、店員さんが親切。

特定の店員さんが、ということではなく、どの店員さんも親切なので行きやすい。もしかすると、スターバックス全体がそうなのかも?

セルフサービスは、視覚障害の私には苦手な方式だが、ここは店のスタッフが持ってきてくれる。

「どんどん出かけていって、どんなふうにして欲しいか伝えていけばいい。」のかもしれないが、歳をとってくると、段々おっくうになってくる。


2011年01月17日 経済のグローバル化は昔もあった?

_ 昔の農村のグローバライゼーション

昨日(2011/01/16) 20:00 からラジオNHK第2放送「カルチャーラジオ」を聴いていたら、群馬県上野村と東京世田谷区に住居を持つ大学の先生の講演をやっていた。

上野村の辺りには田圃のない村がいくつかあるが、明治のころ、それなりに余裕のある生活ができていたという。

支えになっていたのが生糸生産。生糸は、西洋への輸出品で、日本のものは高品質だったため、上流層女性のストッキングの素材として高値で売れた様子。

農村は、けっしてローカルな孤立した存在ではなく、グローバルに結びついていたと聞いて興味深かった。

それが近代化の波の中で、より競争力のある都市での生産に移転し、農村の国際的・国内的他地域との経済的つながりが弱まっていってしまったということらしい。

それから、湯治場の宿屋さんの宿泊費が安く、とても儲かりそうにないが、地元の人に「儲からなくていいんだ。」と教えられた話も、おもしろかった。

湯治場で長く泊まる人たちは、新しい情報(産業・技術等を含む)の伝達者で、それも一方的なものでなく、お互いに情報交換し合う場になっており、地域の活力の源泉になっていた。

観光のように単に通過していく客とは違うので、宿泊費で儲けるという発想でやっていたわけではない。

地域活性化に向けて観光が着目されたりするが、通過型でなく交流型が実現できれば、確かにおもしろそう。


2011年01月22日 プログラミング

_ なんでプログラミングをやってるのか

最近は専らruby。マイクロソフトのOfficeを使うのが苦手で、rubyから自動操縦することが多い。なかなか便利。

単にデータ処理・分析する程度なら難しくないが、困るのは、他の人に見せるための出力が必要な場合。例えば、Excelでグラフを書くとか。

グラフを書いてみること自体はさほど難しいわけではないが、それが意図したとおりになっているか、不自然でないかの確認ができない。どうしても他の人に見てもらう必要が出てくる。

Excel用のrubyライブラリを作っている時も、家族に何度もチェックを頼んだ。度重なると、さすがに頼まれる側も嫌になる。

チェック回数をなるべく抑えるよう工夫するようになる。これはこれで良い経験ではあるが。

色とか罫線とかグラフとか、文字の大きさもセルの幅や高さも、私にはどうでもいい話ばかり。目の見える人につきあうって大変だ(←もちろん冗談)。

exlap_c(Excel用のxmlss生成ライブラリ)を作った動機は、単にセル結合に対応させたかったから。

セル結合の表を把握するのがなかなか大変。その辺、めずらしく、Excelの方がブラウザより確認しやすい。そこで、webのtableをExcelで読めるようにしてみた。

あとは、ついでの機能追加。でも逆に、必要じゃないものは楽しんでやれる。

実用的なものより、ほんとはシュミレーションの開発をやってみたい。

「なぜ2割の金持ちに8割の社会財貨が集中してしまうのか」のネットワークモデルとか、宇宙の銀河形成モデルとか。

あれこれ興味はあるけど、まずは基礎の勉強から始めないと。やれるだろうか。


2011年01月26日 視覚障害者の就労

_ 盲人用時計

仕事で、西欧線に乗って橋本駅(神奈川県)までいった。視覚障害者の就労問題について少し話す。

鍼灸マッサージ業に就く人の割合が高いが、この業種に晴眼者の参入が増えてきていて、厳しい競争の中に置かれていること。

一方、それ以外の事務的な仕事等での仕事が十分には開拓されていないこと。パソコン利用によって、紙の文書が中心だったころに比べると視覚障害者が事務をやりやすくなったのは確かなのだが。

企業対象の調査で「雇用が難しいと思う障害種類」の上位に視覚障害が回答されるが(調査によっては1位)、どう理解してもらうか、障害当事者と就労支援者にとって大きな課題。

視覚障害者のパソコン利用等に関する訓練のノウハウの開発・集積・共有、それと訓練を行える施設の数が不十分なこと。

視覚障害者が従事する事務的な仕事の例にどんなものがあるか。

そんな話をしたが、休憩時間、私の腕時計に興味を示す人がいたので回覧。

音声で知らせるタイプでなく、蓋をあけて針を触れるようになっているもの。秒針はない。「時」と「分」の針の2本。

音声のものだと、静かな場所や会議の最中などに聴きにくいことがあるので、未だに触覚式の時計を使ってる。

「そろそろ休憩にするころでは?」と思って時計を触ったところ、それを見ていた人が興味を示したという次第。

私には当たり前になってる品物だけど、もっとそうしたグッズを活用して話をした方がよかったかな、と少々反省。

聴いてる側には、かなり退屈な話だったかも。

「私の話を早くおわらせるのなら、時計の針を進めておいて下さい。」といったら、笑いをとれたのでちょっと掬い。

_ 障害を理解してもらう

「障害を理解してもらう必要がある。」とは多くの人が言うことだが、何かを題材にして、共同作業する中で理解のきっかけを設ける、というのはできないものかと思う。

事例を示したり、働く現場や訓練現場を見学してもらったりするのも、もちろん大切。

ただ、通過型の観光も大事だけれども、滞在型、交流型も行えれば、というのと似ていて、「理解を求める」だけでなく、「一緒にやる」ことで一歩前に、というのはできないものか。

例えば、視覚障害者のパソコン活用ノウハウの更なる開発は、視覚障害の世界にどっぷりつかっている人だけでやるより、それを知らない人(でもパソコンの専門ノウハウのある人)と交流した方が、前進のきっかけになるような気がする。

企業や行政やらを巻き込んで、そんな共同作業をやる中でお互いに理解できれば、と思うのだが。

何か良い案はないものだろうか。


2011年01月30日 展示会、音楽

_ 特別支援学校の展示会

今日の午前、池袋にある芸術劇場にいった。東京都内の特別支援学校(従来からの言い方では盲・ろう・養護学校)の生徒の作品展が開かれていたもの。

会場の5階までノンストップのエスカレータに乗る。長い。

皿などの焼き物、小物入れなどの木工、紙粘土で作ったいろいろな模型(人の顔とか走っている姿等々)、ダンボールで作ったバス、「ぼくの友達」をテーマにした絵、その他いろいろいろいろ。

縫製部門でも、浴衣、ドレス、ブレザーなど様々。

一通り回るのに1時間半くらいかかった。なかなか見事。ワイングラスは手触りもよかった。

ダンボールのバスの中には側面にも車輪が付いてるものがあった。横倒しになっても走れる。こういうの、好きだなあ。

生徒製作のフィルム(ドキュメンタリーかな?)とか演劇ライブなんかもあったみたいだけど、そちらには顔を出さなかった。

客も結構入っていた。身内の人が多いのかもしれないが、それはそれでいい。

こういう披露する場を設けるのって大事だなと思う。作っている人にとって励みになる。

そういえば、2週間前の1月16日、文京シビックホールで開かれた合唱コンサートにいった。

文京区で活動している様々の合唱グループが参加するコンサート。

2階席もある大ホールで開かれた。

満員ではないとしても、拍手の感じからかなり聴いてる人がいるのが分かった。

ライブは、やっぱり迫力があっていい。

あんなふうな一般の人のためのコンサートもいいなと思う。

_ 図書館でCD

午後、自宅近くの図書館にいった。音楽CDを借りるため。

希望のものがなかったので、ふと思いついて くわたけいすけの2枚組 the Top of Pops を借りてきた。

思った以上にいい。メロディなんかもわるくないけど、音の使い方・選び方みたいなのがいい感じ。

ラジオで流れているのをたまたま聴く程度だったけど、ちょっと好きになった。

日本のポップスで音の使い方がいいと感じるものってそれほど多くないが、例えば、一風堂の「すみれ September Love」を聴いた時は「いいなあ」と思った。音の使い方が贅沢、そんな感じ。

最近、あまり音楽を聴くことがなかったが、久しぶりにポール・マッカートニーの「another day」なんかも聴いた。なんとなくもの悲しく、ちょっとユーモラスで、なつかしい。


2011年01月31日 些細なところでの不況の影

_ 割り箸は大丈夫?

昼食、コンビニでおにぎりと小カップのサラダを買って食べた。

サラダ用に割り箸が付いてきたが、ここ何年かでその質が悪くなったと感じる。十分にヤスリがかけられていない感じ。

割り箸のあちこちがささくれだっている。そのため、木の切れ端が指に刺さったり、サラダを食べていると切れ端が口の中にあったりする。危ない、というと大げさだろうか。

前は、こうした質の悪い割り箸はなかったように思う。製造コスト削減の影響なんだろうか。

ついでに、おにぎりの海苔は、前よりやぶれやすくなった気がする。薄くなったのでは?

勘ぐりすぎかもしれないが、こんな些細なことにも不況の影響が出ているような気がして、なんだかなあ。