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ジタバタ日記


2011年07月18日 女子サッカーの放送

_ 女子サッカーの放送、感動話に偏りすぎでは?

女子サッカー・ワールドカップでの決勝、どきどきして聴いた。1点とられると挽回。それを2度もやって、最後はPK戦で勝利。こんなにどきどき・わくわくする展開は、なかなかない。

音の実況でサッカーを聴いていても、正直なところ、私にはよく分からない。場面が浮かばない。野球に比べると場面展開のスピードが圧倒的な感じがする。

そんな私ではあるが、テレビの中継をずっと聴いていた。分からないながらもエキサイティング。

で、「何が原因で勝利できたのか。」を知りたいと思うのが人情。日本側のことだけでなく、米国側がどうだったかも、もちろん関係するはず。

しかし、サッカー優勝を取り上げる放送は多いものの、それらを聴いても勝利の要因がよく分からない。

チーム力、震災復興と関連づけられたモティベーションの話、小回りのきく動き、そんな事柄は言われるものの、サッカーの技術を背景にした解説のようなものがあまりなかったように思う。

チーム力とか気持ちの問題がいくらあっても、負ける時は負ける。

そもそも、試合そのものの前に、日米双方が互いの長所と弱点をどんなふうに捕らえ、勝つための目標や戦略をどう設定していたのか。その辺も知りたい。単に漠然と「勝ちたい」と思っていたわけではないだろうと思う。

試合には技術力だけでなく、偶然、相手側のミスとか気持ちのぶれなど、様々な要素が絡むのだと思うが、それを単なる感動物語としてでなく、サッカーというゲームに即して、具体的な場面を取り上げながら、「あのとき、何が起こったのか」を物語ってくれる番組があってもいいと思った。そういう番組があったのかもしれないが、私は知らない。

取り上げるボリュームは多いが一面的な色合いが強いそうした放送を聴いていると、昭和天皇が亡くなった時の放送を思い出す。

ごく一部の放送局を除いて、どこも同じトーンの放送をずっと流し続けた。視聴者側がそれに耐えかねてか、レンタルビデオ店が大繁盛。それは、ごく自然な、そして健全な反応だと思う。

放送局側は、ある種の使命感から同じような内容を流し続けたのかもしれないが、私は、「戦時中の新聞やラジオのメディアがそんな傾向だったのでは?」と思われて、こわいものを感じた。

今回は、それほどのことはないが、でも、共通するものを感じてしまう。

何か大きなできごとが起きた時に、放送メディアなどがちゃんとその役割を果たせるんだろうか?「大震災とメディア」みたいな検証もあっていいのかもしれない。

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